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Posted by TI-DA at

2006年05月03日

前日



あご打って怪我をしたまま、OPENの日を迎えるはめに^^

当時の事務局の方々は全力を尽くしていただきましたが

ま、今考えると

準備不足は避けられない状況だったんでしょう。


さあ、明日は記念すべきOPEN DAY!!

さあ、果たして10年後、10年前のような

気持ちでいれるでしょうか。いや、そんなことすら考えもしてなかった  はず。

ただ がむしゃらに。  では、いってきます。
  


Posted by teruteru at 23:58Comments(2)職場

2006年04月27日

やってしまった!



OPEN前一週間を切り、みんな興奮と緊張が交差する毎日を過ごしていた。

実はスタッフの中に一人同級生がいた。

後に料飲のチーフになる男だ。

何を思ったか、ホテルの外を歩いていたときのこと。

””一緒にあそこまでダッシュや~””と言い

その同級生と走った!!


ゴールした後、勢いあまって前に倒れこんでしまい・・・・なんと

顎を強く打ってしまい^^ そのまま病院へ。。


顎を何針か縫うという・・・・・やってしまった!

で、痛かった! で、情けなかった。。おれらしいというのか^^
  


Posted by teruteru at 23:11Comments(0)職場

2006年04月25日

鹿児島研修2

鹿児島での研修以来、鹿児島には意外に行く機会がなく

二回しか行っていません。


研修の間で一番こころに残ったことは

『1人でも100人でもお客様は同じ・・・』ということ。

今でもわすれられない言葉。

 



おれの今の営業でこころに誓っていることがあります。

『NOと言える勇気』です。

どうしてもおれたちのような職務では

知り合いが相談してきたり、大の得意先さんが無理を言ってこられます。

でも『この人はことわり、別のおエライ方の予約だったら』・・・考える・・・・そんなことは

いまだかつて したことはありません。(当たり前のことですが^^)

『NOと言える勇気』・・・勇気がいります。でも、他のスタッフには断られ

おれに電話したら 予約できる・・・・こんな最悪なことはない。。と。

エライ人、スゴイ人・・・・できたら後者でありたい。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

研修を終え、無事みんなで帰郷。長い船旅でした。

気分一新、後一週間でOPENです。
  


Posted by teruteru at 10:30Comments(2)職場

2006年04月23日

鹿児島での研修1

みんな若かった!2名が30代。1名が10代。他は20代ばかり。

1名のみ既婚者という若者ばかりだった。

H8年 4月1日のOPEN

おれには不安ばかりだった。ほとんどが素人・・・

でもそれでよかったのかもしれないとも思う。

3月だったか、直前でスタッフみんなは

鹿児島市のあるホテルに研修が決まった(いや決まっていたかもしれない)




グリーンホテル錦生館です。

研修もそうですが、スタッフで毎晩のように天文間に

出かけたことを思い出す^^

研修どころではないよね^^  ・・・・思い出・・・

 
  


Posted by teruteru at 22:03Comments(0)職場

2006年04月19日

OPEN目前



フローラルホテル 現在は10周年(11年目になる)




OPENまで後2ヶ月ほど。。事務局で準備作業の加勢に参加。

事務局には写真家の平良氏と女性スタッフの二人???

今考えると二人で準備作業しているなんて??と思うが。

そのうちもう一人スケットが現れました。福岡から沖永良部に来た方が。

結局OPENのとき島出身以外のスタッフはその方だけである。

(Sさん)

そのSさんと平良氏と三名でエアドルフィンに載って(自腹)

那覇市にとび、フローラルホテルの焼酎の箱を作るため

メーカーさんとの商談に付き添った(なつかしいな^^)

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

そうこうしているうちに、試験に受かったスタッフが徐々に

事務局に集まりだした。フローラルスタッフの元です。




みんな 若かった。
  


Posted by teruteru at 23:17Comments(0)職場

2006年04月12日

 秋から冬へ



だんだんと暑い沖永良部も涼しくなってきたが

 秋から冬へ

その当時のおれにとっては、全然寒いとか思わないくらい快適な気候でした。

変人扱いされたかも^^TシャツでOKだったんで。

神戸から帰省した年はそうでしたが、だんだん身体がなれて

今では、もちろん えらぶちゅー!!寒いのは寒い。

すくすくと というか^^おれの心も

だんだん沖永良部の人々の気持ちがわかってきました。

もうすぐOPENする今の職場””おきえらぶフローラルホテル””も

ちゃくちゃくとホテルの顔を見せ始めました。

もうすぐです。
  


Posted by teruteru at 14:25Comments(0)島での生活

2006年04月09日

足元 注意!



ガソリンスタンドの仕事で

とっさにお客さんが待っている間にひらめいたことがあった!


””タイヤを洗うこと””社長に初めて褒められた。


人は褒められて伸びるのと、怒られて伸びる人がいるようです。

おれはどちらかというと前者で、けなされると・・・・だめ。


””いままでここのスタンドではタイヤを洗うことはなかったらしい””今でもしているのだろうか??


タイヤが少しでも綺麗だったら、故障にも気づきやすいだろうし。

足元注意ですね!
  


Posted by teruteru at 20:27Comments(0)島での生活

2006年04月06日

飲んでも飲まれるな!!



毎晩のように友人と飲みに行っては翌日はバイトの日々!

若さもあってか、なんとかやっていた!


ある日、とうとう出勤時間に間に合わず・・・・・ただの飲みすぎで・・・

社長が ””飲みにいくのはいいが、仕事は仕事遅刻してまで飲むな!””と喝!!!


あれから、仕事で飲んだ後の仕事は絶対に遅刻しないと・・・・心に誓った!

ぶっちゃけ、といっても10年以上もの間、飲んだ後一回も遅刻がないわけではない。


でもほとんど     ない。

社長のおかげです。いつもあの言葉を思い出します。
  


Posted by teruteru at 10:12Comments(0)島での生活

2006年03月30日

アルバイト

ガソリンスタンドのバイトは結構予想以上にハードでした。

社長もアルバイトとはいえ厳しく仕付けていただきました。

びっくりしたのは朝朝礼をするんです。

””今日の目標は・・・””とか。

休む暇もなくくるお客様に  ””いっらしゃいませ~””元気に!!




来る方来る方、””うら たるよ~”” ””うだぬ ちゅうなァ~”← ””あなた だれ、どこからきたの””

って。

その当時は神戸から来たため 島んちゅには思われませんでした^^

でもだんだんお客様も憶え、憶えていただき仕事がたのしくなってきた!

その当時は今でも親友のタイヤたちと毎晩のように飲みに・・・

自分を知ってもらうため必死だった。
  


Posted by teruteru at 23:06Comments(0)島での生活

2006年03月28日

沖永良部の住民に!

島に再び帰ってきたおれはまず今後の計画を立てた!



1 まずは国民宿舎に履歴書を持って事務局にうかがう
2 とにかくアルバイトをさがす
3 その他

考えるより行動だ。9月1日が国民宿舎の応募受付の始まり。

その日に電話をし出向いた。

その当時の事務局長は写真家の平良氏だった。(後にかなりお世話になることに・・・)

取ってくれるかどうかはわからないが、せいいっぱい お話をして帰った。

後日聞くと、応募のその日に履歴書を持参したのは、おれだけだったようだ。

その後、アルバイトを親戚のガソリンスタンド(南国商事)でお世話になることに。

さあ、住民としての出発が始まった。10年も若たったんだね^^

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・H7年。

   


Posted by teruteru at 15:45Comments(0)島での生活

2006年03月26日

島へ・・・

やはりおれの生きていく場所は

沖永良部島だ。父・母を残してまた神戸で暮らすのは

次男であってもできなかったのかもしれない。

それが一番の理由という分けではないと思うが。



さあ、心の準備はできた。

再び 島へ・・・・・・親、友人たちが待っている島へ・・・・本当の里帰りに。
  


Posted by teruteru at 19:16Comments(0)帰島

2006年03月21日

生きる!

家族はできれば一緒に暮らす・・・みなそう願っているでしょう!

今回再び神戸に帰り神戸の町・人を見て感じた。

”やはりおれが今から暮らすのは故郷、沖永良部だ”

と思ったら早い。知人に再会を願いつつ、別れをつげに

たくさんの知人を訪ね歩いた。



一人どうしても会えなかった知人がいる・・・震災の跡が未だに残る

町に住んでいて車を飛ばして2度訪れた。

昔よく遊びにいっていたはずなのに家がどこかわからないんです。

後に”生きてる”ということは風のうわさで知ったのですが。

未だにその知人とは会ってません。

生きる!ということ、普段何気なく生きているおれは

これからどうやって生きていったらいいのか

そのときはまだ・・・・。神戸市民のパワーを分けてもらい

またおれは故郷に帰る準備を(気持ちの整理をした)

沖永良部で生きていきます。
  


Posted by teruteru at 11:28Comments(0)神戸

2006年03月18日

住むところは・・・

また船に乗って神戸に再び出発した俺は

船内でいろいろなことを考えた。

もちろん今後の自分のこと・・・まだやり直しはきく年齢だ。

もし今だったらかなり遅い決断になるはずだが・・・!


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・



話してなかったが、実は病気で倒れた姉は俺が神戸に行く前に

また神戸に帰っていた。(一人で)姉は神戸でしか育っていないんだ。

沖永良部の水が合わなかったらしい。

若い頃離婚を経験している姉は””強い””ひとりで生きていた。

体調はだんだんよくなり、元気で暮らしていた。

でも仮設住宅で!

まあ、一人暮らしなので調度いい広さ。でも寂しかった。


みんな無事だったのに家族はばらばらに生活。逆に俺たちはわがままだと思った。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

神戸に帰った俺は、数ヶ月まえまでここで生活していたはずなのに

””俺の住むところではないな。。俺の住む場所は沖永良部だな””と。

なんで思ったかは正直わからない。

いまだにわからない。一つ強いて言えば、家族はできるだけ一緒にいるべき

ということかな。
  


Posted by teruteru at 18:27Comments(3)神戸

2006年03月16日

再び神戸へ

同級生との再会で俺は救われた。

しかし

何分思春期を神戸で生活したという事実は避けられない。

だんだん故郷が物足りなくなっていったのを憶えている。

親はその当時すでに65歳くらいになっていて・・・・・・・・・・・かなり迷った。

帰島3ヶ月が経ったころでしょうか!

また神戸に行く決心をした!

なぜ?と問われると答えがすぐ出てくることはなく、

ただもう一度神戸に行って見たかった。


でも9月1日~募集を開始し、H8年4月にOPENする国民宿舎があることは情報で

解っていた。そう、おきのえらぶフローラルホテルだ。


でももう一度神戸に行きたかった。後に大きな壁にぶつかることも知らず。

また、帰郷した船で神戸へと向かった。H7年の8月ころでした。
  


Posted by teruteru at 08:07Comments(0)島での生活

2006年03月13日

同窓会

翌日からは親戚の家にあいさつまわりだった。

みんな元気だった。俺たちをこころよく沖永良部に受け入れてくれた。





正直、神戸での経験から帰郷まで数ヶ月だったんだけど

ものすごく長い歳月が経ったような気がしていて

なんだか疲れきっていた自分がいた。

親戚まわりの後は、なんといっても同級生だった。

畳屋になぜか先に行った。意味はわからないが・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

彼がタイヤ屋に連れていってくれた。・・・・・・・・・・・・・・・懐かしい。

彼らとの再会が後に俺にとってかなり貴重なことになっていくとは

そのときは考えもしなかったが。

早速その晩、同窓会をしてくれた。

ありがたい。

今でも俺たちは同級生が帰郷したら、声を掛け合い

よく同窓会をしている。これはただの飲み会ではない。することに意義があるんだ。

あの時、おれのために同窓会を開いてくれなかったら

こんな気持ちは今でもないだろう。

その日から同窓会というか、飲み会が毎日のようだった気がする。(若かった^^)
  


Posted by teruteru at 22:35Comments(2)島での生活

2006年03月06日

島の香り



数十年ぶりの実家だ。

懐かしい香りがする

空気が美味しい!!


親戚の兄貴が時々換気やそうじをしていただいたので

すぐに住める状態だった。本当に感謝です。

(人はその時の感謝の気持ちを知らず知らず忘れてしまいがち・・・・・

   俺もこの記事を書きながら思い出しているのも事実)

仏壇に手を合わせ、お茶を飲み

沖永良部での生活が始まった。
  


Posted by teruteru at 00:11Comments(0)島での生活

2006年03月04日

寂しい里帰り

奄美大島や徳之島など沖永良部にいたときもいったことがない。

和泊港といのべ港だけしかみたことがなかったので

他の島の港をみたのはこの年になってはじめてだった。

後に見ることになるとは・・・・・・・・・・・

沖永良部・和泊港につくのは夜中のいや明け方でした。

和泊港・・・・・・・・小さいときに行ったきりでした。

あったかい・・いや熱く感じた記憶がある。

とうとう長い船旅の終わり・・・・沖永良部 故郷に着いたんだ!

父母のほっとした顔が今でも目に!

親戚に家をみていただいたおかげで帰ってこれる家があった!

しかし、夜中。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・だれもいない。

俺たちはぎゅうぎゅうの車に乗って家に向かった。

都会暮らしの長かった俺には田舎の道は暗くて怖かった!

これからどう生きていくのかはこの時点では何も考えていない自分があった。(事実)

出迎えの重要性を今でも強く感じているのは

このときに根付いたものではないかと・・・・今になっておもう。

さあ、我が家だ。
  


Posted by teruteru at 17:22Comments(0)帰島

2006年02月24日

船内その2

波はかなりしけていました。飛行機の揺れに比べれば

我慢できるが・・・・その当時のあかつきは

今とは違い、宮崎にも接岸していた気が・・・・これは記憶が・・・あまり。

だいたい鹿児島新港から沖永良部も18時間かかります。

船の中で夜をすごすとなんだか変な気分になりました。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

船の中は特に遊ぶものもないので

みんなかなり退屈していたが、姉の調子がおかげで

良いのが何よりでした。数日前まで病院の集中治療室にいた

人とは決して思えないくらい元気で^^

父や母のほうが船旅の疲れがきたようでした。。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・さあ、奄美が見えてきた!  


Posted by teruteru at 00:03Comments(2)帰島

2006年02月22日

船内

無事大阪港を出港したニューあかつき。

順調な帰郷の始まりでした。以前の記事で書きましたが、

その当時は携帯が普及しておらず

船にのったら最後!兄貴夫婦や親戚への連絡が

今のように自由でスピーデイーにはいきません。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

だんだん、揺れてきました。


被災者ということで、一等室を提供され、母と姉、父と俺の組で部屋を使った!(いい部屋でした)


うとうと寝ていたのですが、船の揺れのせいでしょうか!

””地震や・地震・・・””と、うなされてしまった。

まじでまたか!と、思ったのを憶えている。


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・  沖永良部はまだまだです。
  


Posted by teruteru at 18:00Comments(0)帰島

2006年02月21日

再出発!

コンテナの荷物はかなりの量。島出身の方が多い神戸なので
偶然にも運送屋さんもエラブ出身の方でした。

兄貴夫婦は神戸に残り、父・母・病気から急激に回復した姉を連れて
 
    沖永良部へ

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

今では定期船(鹿児島ー那覇間)ニューあかつきを待っていた。

当時、神戸港は地震で崩れ接岸もできない。

私たちは大阪港まで俺のぼろい車に乗り・・・・(車の中も荷物いっぱい)

予想はしていたが、神戸から大阪までかなりの時間がかかった。

町並みは以前の面影はなく・・・””俺たちだけではない””という気持ちを

再び認識させられました。


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

なぜか、大阪港に着いてから船の出港までの時間が長く感じていたことを思い出します。


そういえば、兄貴の嫁に帰る前だからといって

散髪してもらったこと、はっきり覚えてます。

それまでは、ばさばさで、無精ひげも・・・・・・・


大阪から沖永良部まではだいたい35時間くらいはかかります。


港でたたずんでいた兄貴夫婦の姿が小さくなっていく・・・・さびしかった。
  


Posted by teruteru at 09:44Comments(2)帰島