2006年03月30日

アルバイト

ガソリンスタンドのバイトは結構予想以上にハードでした。

社長もアルバイトとはいえ厳しく仕付けていただきました。

びっくりしたのは朝朝礼をするんです。

””今日の目標は・・・””とか。

休む暇もなくくるお客様に  ””いっらしゃいませ~””元気に!!




来る方来る方、””うら たるよ~”” ””うだぬ ちゅうなァ~”← ””あなた だれ、どこからきたの””

って。

その当時は神戸から来たため 島んちゅには思われませんでした^^

でもだんだんお客様も憶え、憶えていただき仕事がたのしくなってきた!

その当時は今でも親友のタイヤたちと毎晩のように飲みに・・・

自分を知ってもらうため必死だった。
  

Posted by teruteru at 23:06Comments(0)TrackBack(0)島での生活

2006年03月28日

沖永良部の住民に!

島に再び帰ってきたおれはまず今後の計画を立てた!



1 まずは国民宿舎に履歴書を持って事務局にうかがう
2 とにかくアルバイトをさがす
3 その他

考えるより行動だ。9月1日が国民宿舎の応募受付の始まり。

その日に電話をし出向いた。

その当時の事務局長は写真家の平良氏だった。(後にかなりお世話になることに・・・)

取ってくれるかどうかはわからないが、せいいっぱい お話をして帰った。

後日聞くと、応募のその日に履歴書を持参したのは、おれだけだったようだ。

その後、アルバイトを親戚のガソリンスタンド(南国商事)でお世話になることに。

さあ、住民としての出発が始まった。10年も若たったんだね^^

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・H7年。

   

Posted by teruteru at 15:45Comments(0)TrackBack(0)島での生活

2006年03月26日

島へ・・・

やはりおれの生きていく場所は

沖永良部島だ。父・母を残してまた神戸で暮らすのは

次男であってもできなかったのかもしれない。

それが一番の理由という分けではないと思うが。



さあ、心の準備はできた。

再び 島へ・・・・・・親、友人たちが待っている島へ・・・・本当の里帰りに。
  

Posted by teruteru at 19:16Comments(0)TrackBack(0)帰島

2006年03月21日

生きる!

家族はできれば一緒に暮らす・・・みなそう願っているでしょう!

今回再び神戸に帰り神戸の町・人を見て感じた。

”やはりおれが今から暮らすのは故郷、沖永良部だ”

と思ったら早い。知人に再会を願いつつ、別れをつげに

たくさんの知人を訪ね歩いた。



一人どうしても会えなかった知人がいる・・・震災の跡が未だに残る

町に住んでいて車を飛ばして2度訪れた。

昔よく遊びにいっていたはずなのに家がどこかわからないんです。

後に”生きてる”ということは風のうわさで知ったのですが。

未だにその知人とは会ってません。

生きる!ということ、普段何気なく生きているおれは

これからどうやって生きていったらいいのか

そのときはまだ・・・・。神戸市民のパワーを分けてもらい

またおれは故郷に帰る準備を(気持ちの整理をした)

沖永良部で生きていきます。
  

Posted by teruteru at 11:28Comments(0)TrackBack(0)神戸

2006年03月18日

住むところは・・・

また船に乗って神戸に再び出発した俺は

船内でいろいろなことを考えた。

もちろん今後の自分のこと・・・まだやり直しはきく年齢だ。

もし今だったらかなり遅い決断になるはずだが・・・!


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・



話してなかったが、実は病気で倒れた姉は俺が神戸に行く前に

また神戸に帰っていた。(一人で)姉は神戸でしか育っていないんだ。

沖永良部の水が合わなかったらしい。

若い頃離婚を経験している姉は””強い””ひとりで生きていた。

体調はだんだんよくなり、元気で暮らしていた。

でも仮設住宅で!

まあ、一人暮らしなので調度いい広さ。でも寂しかった。


みんな無事だったのに家族はばらばらに生活。逆に俺たちはわがままだと思った。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

神戸に帰った俺は、数ヶ月まえまでここで生活していたはずなのに

””俺の住むところではないな。。俺の住む場所は沖永良部だな””と。

なんで思ったかは正直わからない。

いまだにわからない。一つ強いて言えば、家族はできるだけ一緒にいるべき

ということかな。
  

Posted by teruteru at 18:27Comments(3)TrackBack(0)神戸

2006年03月16日

再び神戸へ

同級生との再会で俺は救われた。

しかし

何分思春期を神戸で生活したという事実は避けられない。

だんだん故郷が物足りなくなっていったのを憶えている。

親はその当時すでに65歳くらいになっていて・・・・・・・・・・・かなり迷った。

帰島3ヶ月が経ったころでしょうか!

また神戸に行く決心をした!

なぜ?と問われると答えがすぐ出てくることはなく、

ただもう一度神戸に行って見たかった。


でも9月1日~募集を開始し、H8年4月にOPENする国民宿舎があることは情報で

解っていた。そう、おきのえらぶフローラルホテルだ。


でももう一度神戸に行きたかった。後に大きな壁にぶつかることも知らず。

また、帰郷した船で神戸へと向かった。H7年の8月ころでした。
  

Posted by teruteru at 08:07Comments(0)TrackBack(0)島での生活

2006年03月13日

同窓会

翌日からは親戚の家にあいさつまわりだった。

みんな元気だった。俺たちをこころよく沖永良部に受け入れてくれた。





正直、神戸での経験から帰郷まで数ヶ月だったんだけど

ものすごく長い歳月が経ったような気がしていて

なんだか疲れきっていた自分がいた。

親戚まわりの後は、なんといっても同級生だった。

畳屋になぜか先に行った。意味はわからないが・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

彼がタイヤ屋に連れていってくれた。・・・・・・・・・・・・・・・懐かしい。

彼らとの再会が後に俺にとってかなり貴重なことになっていくとは

そのときは考えもしなかったが。

早速その晩、同窓会をしてくれた。

ありがたい。

今でも俺たちは同級生が帰郷したら、声を掛け合い

よく同窓会をしている。これはただの飲み会ではない。することに意義があるんだ。

あの時、おれのために同窓会を開いてくれなかったら

こんな気持ちは今でもないだろう。

その日から同窓会というか、飲み会が毎日のようだった気がする。(若かった^^)
  

Posted by teruteru at 22:35Comments(2)TrackBack(0)島での生活

2006年03月06日

島の香り



数十年ぶりの実家だ。

懐かしい香りがする

空気が美味しい!!


親戚の兄貴が時々換気やそうじをしていただいたので

すぐに住める状態だった。本当に感謝です。

(人はその時の感謝の気持ちを知らず知らず忘れてしまいがち・・・・・

   俺もこの記事を書きながら思い出しているのも事実)

仏壇に手を合わせ、お茶を飲み

沖永良部での生活が始まった。
  

Posted by teruteru at 00:11Comments(0)TrackBack(0)島での生活

2006年03月04日

寂しい里帰り

奄美大島や徳之島など沖永良部にいたときもいったことがない。

和泊港といのべ港だけしかみたことがなかったので

他の島の港をみたのはこの年になってはじめてだった。

後に見ることになるとは・・・・・・・・・・・

沖永良部・和泊港につくのは夜中のいや明け方でした。

和泊港・・・・・・・・小さいときに行ったきりでした。

あったかい・・いや熱く感じた記憶がある。

とうとう長い船旅の終わり・・・・沖永良部 故郷に着いたんだ!

父母のほっとした顔が今でも目に!

親戚に家をみていただいたおかげで帰ってこれる家があった!

しかし、夜中。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・だれもいない。

俺たちはぎゅうぎゅうの車に乗って家に向かった。

都会暮らしの長かった俺には田舎の道は暗くて怖かった!

これからどう生きていくのかはこの時点では何も考えていない自分があった。(事実)

出迎えの重要性を今でも強く感じているのは

このときに根付いたものではないかと・・・・今になっておもう。

さあ、我が家だ。
  

Posted by teruteru at 17:22Comments(0)TrackBack(0)帰島