2006年02月24日

船内その2

波はかなりしけていました。飛行機の揺れに比べれば

我慢できるが・・・・その当時のあかつきは

今とは違い、宮崎にも接岸していた気が・・・・これは記憶が・・・あまり。

だいたい鹿児島新港から沖永良部も18時間かかります。

船の中で夜をすごすとなんだか変な気分になりました。

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船の中は特に遊ぶものもないので

みんなかなり退屈していたが、姉の調子がおかげで

良いのが何よりでした。数日前まで病院の集中治療室にいた

人とは決して思えないくらい元気で^^

父や母のほうが船旅の疲れがきたようでした。。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・さあ、奄美が見えてきた!  

Posted by teruteru at 00:03Comments(2)TrackBack(0)帰島

2006年02月22日

船内

無事大阪港を出港したニューあかつき。

順調な帰郷の始まりでした。以前の記事で書きましたが、

その当時は携帯が普及しておらず

船にのったら最後!兄貴夫婦や親戚への連絡が

今のように自由でスピーデイーにはいきません。

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だんだん、揺れてきました。


被災者ということで、一等室を提供され、母と姉、父と俺の組で部屋を使った!(いい部屋でした)


うとうと寝ていたのですが、船の揺れのせいでしょうか!

””地震や・地震・・・””と、うなされてしまった。

まじでまたか!と、思ったのを憶えている。


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・  沖永良部はまだまだです。
  

Posted by teruteru at 18:00Comments(0)TrackBack(0)帰島

2006年02月21日

再出発!

コンテナの荷物はかなりの量。島出身の方が多い神戸なので
偶然にも運送屋さんもエラブ出身の方でした。

兄貴夫婦は神戸に残り、父・母・病気から急激に回復した姉を連れて
 
    沖永良部へ

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今では定期船(鹿児島ー那覇間)ニューあかつきを待っていた。

当時、神戸港は地震で崩れ接岸もできない。

私たちは大阪港まで俺のぼろい車に乗り・・・・(車の中も荷物いっぱい)

予想はしていたが、神戸から大阪までかなりの時間がかかった。

町並みは以前の面影はなく・・・””俺たちだけではない””という気持ちを

再び認識させられました。


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なぜか、大阪港に着いてから船の出港までの時間が長く感じていたことを思い出します。


そういえば、兄貴の嫁に帰る前だからといって

散髪してもらったこと、はっきり覚えてます。

それまでは、ばさばさで、無精ひげも・・・・・・・


大阪から沖永良部まではだいたい35時間くらいはかかります。


港でたたずんでいた兄貴夫婦の姿が小さくなっていく・・・・さびしかった。
  

Posted by teruteru at 09:44Comments(2)TrackBack(0)帰島

2006年02月12日

一番大切なものは!

地震の時以来、姉の様態のことを話すことは

ほとんどないのですが、本当に奇跡です。

心臓が止まったはずなのにみるみるよくなっていったのです???

本当に信じられなかった!




父が”エラブに帰ろう””と言ってからは、みんなで準備をはじめた。こつこつ。

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正直このあたりはあまり記憶にない。近くの運送店に依頼し

横たわった家に余震をさけ入り、必要なものはできるだけ取った。

その当時のおれの一番大切なものはなんだったのか!

自分の所持品では・・・思いつかない。何でなのかも今思いつかない!




コンテナいっぱいになった荷物を持って

エラブへ帰る準備がほぼ整った!!
  

Posted by teruteru at 23:28Comments(0)TrackBack(0)神戸

2006年02月05日

奇跡

病院でどのくらい時間がったでしょうか!

俺は集中治療室の外にいた。父と母は中に・・・もう、助からない!

みんな 正直あきらめていた。兄貴夫婦もなんとか病院に駆けつけた。

父が出てきた。涙を流しながら・・・・・・・・・・・時間が止まった!

俺もみんな、治療室に入った。

怖かった。

実は、息が止まっては持ち直しと

何回もその繰り返しだったようで、俺が見たときには

かすかに息をしていた。しんじられない、奇跡です。あれだけ大量に吐血したのに!

人間の生命力ってすごいですね(いまも姉貴は神戸でなんとか生きています)

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エラブに帰ろう。父がそう言った。。  

Posted by teruteru at 10:00Comments(3)TrackBack(0)神戸

2006年02月03日

渋滞、しょうがない


避難所の武道館に、俺達の名前を呼ぶ声が・・・・予感が・・・・的中だった。

姉貴が倒れたのです。

駆け付けると、姉貴はうずくまっていた。

血を大量に吐いていた。持病がでたのです。


こんな時期、病院なんてあるのか??でも、避難所の代表さんの

取り計らいにより、救急車を呼んでもらい

市民病院に・・・・・・・渋滞で車が動かない!

いつもだったら15分くらいで着く場所。。どのくらいかかったか・・・わからない!


病院も地震にあっているはず。 不安だ!


なんとか病院に着いた・・・・  

Posted by teruteru at 09:00Comments(0)TrackBack(0)神戸

2006年02月01日

予感!

俺には兄弟がいる。兄貴は7歳上。姉貴は17歳上。

はっきりいって世間で言う、兄弟のようなのはほとんどない。

俺が中1で神戸に行ったときには、兄貴は沖永良部高校を卒業したばかりだし・・・

姉貴は、小さい頃手をつないで大阪の街をを歩いていると

””あら、かわいいお子さんやね~””  なんとなく照れくさかった。


かなり年が離れている兄弟じゃないみたいな兄弟。

いやな予感がしていた。。姉貴はもともと病気がちなので、

結婚は一度したが、離婚し今までずっと一人です。一人で生きている人は強いですね!

いやな予感・・・・母が言った。  それは 避難所生活3週間目のことだった。

父・母と三名で息を飲んだ。  

Posted by teruteru at 00:05Comments(2)TrackBack(0)神戸