2006年03月21日

生きる!

家族はできれば一緒に暮らす・・・みなそう願っているでしょう!

今回再び神戸に帰り神戸の町・人を見て感じた。

”やはりおれが今から暮らすのは故郷、沖永良部だ”

と思ったら早い。知人に再会を願いつつ、別れをつげに

たくさんの知人を訪ね歩いた。



一人どうしても会えなかった知人がいる・・・震災の跡が未だに残る

町に住んでいて車を飛ばして2度訪れた。

昔よく遊びにいっていたはずなのに家がどこかわからないんです。

後に”生きてる”ということは風のうわさで知ったのですが。

未だにその知人とは会ってません。

生きる!ということ、普段何気なく生きているおれは

これからどうやって生きていったらいいのか

そのときはまだ・・・・。神戸市民のパワーを分けてもらい

またおれは故郷に帰る準備を(気持ちの整理をした)

沖永良部で生きていきます。
  

Posted by teruteru at 11:28Comments(0)TrackBack(0)神戸

2006年03月18日

住むところは・・・

また船に乗って神戸に再び出発した俺は

船内でいろいろなことを考えた。

もちろん今後の自分のこと・・・まだやり直しはきく年齢だ。

もし今だったらかなり遅い決断になるはずだが・・・!


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話してなかったが、実は病気で倒れた姉は俺が神戸に行く前に

また神戸に帰っていた。(一人で)姉は神戸でしか育っていないんだ。

沖永良部の水が合わなかったらしい。

若い頃離婚を経験している姉は””強い””ひとりで生きていた。

体調はだんだんよくなり、元気で暮らしていた。

でも仮設住宅で!

まあ、一人暮らしなので調度いい広さ。でも寂しかった。


みんな無事だったのに家族はばらばらに生活。逆に俺たちはわがままだと思った。

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神戸に帰った俺は、数ヶ月まえまでここで生活していたはずなのに

””俺の住むところではないな。。俺の住む場所は沖永良部だな””と。

なんで思ったかは正直わからない。

いまだにわからない。一つ強いて言えば、家族はできるだけ一緒にいるべき

ということかな。
  

Posted by teruteru at 18:27Comments(3)TrackBack(0)神戸

2006年02月12日

一番大切なものは!

地震の時以来、姉の様態のことを話すことは

ほとんどないのですが、本当に奇跡です。

心臓が止まったはずなのにみるみるよくなっていったのです???

本当に信じられなかった!




父が”エラブに帰ろう””と言ってからは、みんなで準備をはじめた。こつこつ。

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正直このあたりはあまり記憶にない。近くの運送店に依頼し

横たわった家に余震をさけ入り、必要なものはできるだけ取った。

その当時のおれの一番大切なものはなんだったのか!

自分の所持品では・・・思いつかない。何でなのかも今思いつかない!




コンテナいっぱいになった荷物を持って

エラブへ帰る準備がほぼ整った!!
  

Posted by teruteru at 23:28Comments(0)TrackBack(0)神戸

2006年02月05日

奇跡

病院でどのくらい時間がったでしょうか!

俺は集中治療室の外にいた。父と母は中に・・・もう、助からない!

みんな 正直あきらめていた。兄貴夫婦もなんとか病院に駆けつけた。

父が出てきた。涙を流しながら・・・・・・・・・・・時間が止まった!

俺もみんな、治療室に入った。

怖かった。

実は、息が止まっては持ち直しと

何回もその繰り返しだったようで、俺が見たときには

かすかに息をしていた。しんじられない、奇跡です。あれだけ大量に吐血したのに!

人間の生命力ってすごいですね(いまも姉貴は神戸でなんとか生きています)

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エラブに帰ろう。父がそう言った。。  

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2006年02月03日

渋滞、しょうがない


避難所の武道館に、俺達の名前を呼ぶ声が・・・・予感が・・・・的中だった。

姉貴が倒れたのです。

駆け付けると、姉貴はうずくまっていた。

血を大量に吐いていた。持病がでたのです。


こんな時期、病院なんてあるのか??でも、避難所の代表さんの

取り計らいにより、救急車を呼んでもらい

市民病院に・・・・・・・渋滞で車が動かない!

いつもだったら15分くらいで着く場所。。どのくらいかかったか・・・わからない!


病院も地震にあっているはず。 不安だ!


なんとか病院に着いた・・・・  

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2006年02月01日

予感!

俺には兄弟がいる。兄貴は7歳上。姉貴は17歳上。

はっきりいって世間で言う、兄弟のようなのはほとんどない。

俺が中1で神戸に行ったときには、兄貴は沖永良部高校を卒業したばかりだし・・・

姉貴は、小さい頃手をつないで大阪の街をを歩いていると

””あら、かわいいお子さんやね~””  なんとなく照れくさかった。


かなり年が離れている兄弟じゃないみたいな兄弟。

いやな予感がしていた。。姉貴はもともと病気がちなので、

結婚は一度したが、離婚し今までずっと一人です。一人で生きている人は強いですね!

いやな予感・・・・母が言った。  それは 避難所生活3週間目のことだった。

父・母と三名で息を飲んだ。  

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2006年01月30日

温かいおにぎりの味!

青森からの親友が帰り

気持ちがすこし前向きになっていた。

携帯もあまり普及せていない時代。もし今のように

普及していたら、かなりの人を救えただろう!とつくづく思います。



また友人が母校にかけつけてくれた。

山下君というのですが、””できれば家に来てよ、家はまだ電気が

使えるから・・・・””

山下君宅にすこしお邪魔しました。おばちゃんも元気そうでよかった。

なんと、電気でご飯を炊き、私達家族のために””温かいおにぎり”””を・・・・。



持ちかえった俺は家族と一緒に支給された布団に潜りながら・・・食べました。

涙がでて 止まりませんでした。だって、回りに寝ている住民は

温かいものなんて、あれから食べてないのに!!

分けてあげる分なんてないし、、自分のこころを責めながら、山下くんのおにぎりを食べました。

一生忘れられない””おにぎり””になりました。

いまでもおにぎりは大好きです。  

Posted by teruteru at 12:20Comments(2)TrackBack(0)神戸

2006年01月28日

再会!

あれから俺の人生は変化していったのは事実です。

避難所生活のもだんだん慣れてきて、隣に寝ている方々とも打ち解け

なんだか親戚みたいな感覚に感じてきた。

遠い親戚より近くの・・・・昔のひとはよく言ったものですね!

10日ほど経って 驚きの事件??が怒った。

ぼーっとして避難所にいたときのことでした。武道館の入り口にふと目をやると・・

””あれ~、なんか見たことのある懐かしい顔・・・・””

””清水~””思わず叫んだ!こちらからは彼を確認できるが

彼からはあまりの人の多さで、俺がここにいることがしばらくはわからなかった。

なんとこの母校出身で仲良くしていた親友だったのです。

どうして俺がここにいることがわかったかは聴いていない!今でも。

きっと、避難所を数カ所も回って、名簿を確認したんだろう!

””涙””しかなかった。

彼はその当時、仕事の転勤で青森県から俺達のために休みをとり

神戸にきたのだ。  

たまらなかった!


彼は”””ポテトチップスや、チョコレートなど””をいっぱいもって見舞いにきてくれました。

””おまえらしいな””””ありがとう””

数年後ですが、彼とは東京で再会することになります。今はまた転勤で

静岡県で頑張っています。
  

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2006年01月27日

現実!

母校に避難してたぶん5日くらいたったでしょうか!

母校の向かい側に研修センターみたいなところがあり、

そこではじめて震災の凄さを目の当たりにした。やっとテレビを見たのだ。

それまではここ神戸がどんな状況なのかもわからなかった。だれも・・

長田区の火災・高速道路が横倒しになっている、また高速道路上のバス・・・・

連日連日この映像が流れる。

母校の向かい側に研修センターみたいなところ、実は被害にあった方々の

ご遺体を安置していた。

偶然近くで二十歳くらいの時にローソンでバイトしていたころの知人にばったりあった。

””おぉ、元気か??””・・・・・・・・”妹が・・・妹が・・・・””と言って彼は立ち去った。



なにも言えなかった。今でもはっきり覚えています。

””気をしっかりな””とか、””かわいそうだったな””とか、そんな言葉

ドラマなどで聞くけど、そんなもん いいかげんなもので、まともな人間は

言葉なんて出ないよ。

しばらく 俺は知人に会いたくなかった!誰にも。

  

Posted by teruteru at 22:47Comments(3)TrackBack(0)神戸

2006年01月22日

避難場所

坂をもぼっていく長い列にまぎれて

私達家族もこれからどうなるのか予想もつかずに歩いていきました。。

結局は””葺合高校””に非難。

人・人・人・・・・・たくさんの神戸市民がいます。




武道館に結局私達家族は非難することに・・・。

テレビやラジオなどとんでもない。。今、どうなっているのかさえ

わからず、ふと気付くと・・・・・・・・・・・・・・・・・・・腹がへっている。

みんな食べるものもない。

でも、特にびっくりしたのは、””””トイレ””””かな。

人間って 用を足すことは必要なこと。でも、人ってこんなんって 思った!

汚い


でも、協力してプールから水をくんできてながしたりした。

そのうち、その避難所のリーダーが決まった!!

さすが神戸市民!!とも思った。。数百名いる避難民をまとめるのは

それは大変なことです。



避難した場所は・・・・・・・・私の母校だった。  

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2006年01月21日

余震!



ある小学校のグラウンドに逃げてからのつづき・・・

明るくなってきづく、ものすごい光景!!空は晴れていた。

グラウンドがいくつも割れているんです。でかいホンダの看板が

余震でぐらぐら・・・いつ落下してもおかしくはない。




どれくらい経ったのかは、今はっきり覚えてないが

寒い中、いったん家に戻り取れるものだけとり、家族で避難するところを

探しにいった。近所の人々も一緒。

””上筒井か葺合高校が ええで~””どこからかの声にひきつけられるように

歩いて坂をのぼっていった気がします。。

  

Posted by teruteru at 22:15Comments(0)TrackBack(0)神戸

2006年01月18日

別世界!!

写真:内容とは関係ないです



必死の思いで(はっきりと記憶はないが)、家の外にでてからは、

いつもの光景とはかけ離れた世界!

どこからか””助けて~””の声が。向居のおばちゃんが助けを求めている。

””ばあちゃんが・・・・””父と共に崩れそうな家の中に飛び込み

なにかわからないものの下敷きになったおばあちゃんをなんとか

連れだした。生きているとか、今どこにいるとか・・・何がなんだかわからない。

暗いし、寒いし、ガスくさい中、玄関をやぶり 家族みんな家から出た。

とっさにしたこと・・・何でもいいから、寒さを防ぐものを引っ張り出し、逃げた・・・・




近くの小学校だった。だんだん明るくなってきづくのですが、運動場にはいくつもヒビ割れ

恐怖!

気がつくと、近所の住民が数百名もいた。。  

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2006年01月17日

あれから11年

今日で平成七年の阪神大震災から11年。

あの時は本当にぼろぼろでした。地震の前から体調が悪く
最悪な状況だったことを、今でも思い出します。

なかなか寝れずに記憶には4時くらいまで起きていた・・・5時46分・・・

最初は何がなんだかわからなかった。近くに飛行機でも突っ込んだのか???地震???

揺れは経ったの40秒ちょっとだったらしいが、かなり長く感じたのを思い出します。

その当時家族は、父・母・姉と4名で過ごしており、みんな無事でした。

とにかく家から出ないといけない・・・父と一緒に、となりのマンションにすこし

寄りかかるように倒れた家の隙間から家の外に出る・・・そこは別世界!



当時住んでいた家

寒い、ガスくさい、人の声・・・

家の玄関をこじ開け、母・姉を外へ・・・・(続きは次回に)





本当に早いものです。でも、あの日の事は忘れません。

お亡くなりになった6800余名の方々のご冥福をお祈り申し上げます。  

Posted by teruteru at 05:46Comments(2)TrackBack(0)神戸