2006年03月26日

島へ・・・

やはりおれの生きていく場所は

沖永良部島だ。父・母を残してまた神戸で暮らすのは

次男であってもできなかったのかもしれない。

それが一番の理由という分けではないと思うが。



さあ、心の準備はできた。

再び 島へ・・・・・・親、友人たちが待っている島へ・・・・本当の里帰りに。
  

Posted by teruteru at 19:16Comments(0)TrackBack(0)帰島

2006年03月04日

寂しい里帰り

奄美大島や徳之島など沖永良部にいたときもいったことがない。

和泊港といのべ港だけしかみたことがなかったので

他の島の港をみたのはこの年になってはじめてだった。

後に見ることになるとは・・・・・・・・・・・

沖永良部・和泊港につくのは夜中のいや明け方でした。

和泊港・・・・・・・・小さいときに行ったきりでした。

あったかい・・いや熱く感じた記憶がある。

とうとう長い船旅の終わり・・・・沖永良部 故郷に着いたんだ!

父母のほっとした顔が今でも目に!

親戚に家をみていただいたおかげで帰ってこれる家があった!

しかし、夜中。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・だれもいない。

俺たちはぎゅうぎゅうの車に乗って家に向かった。

都会暮らしの長かった俺には田舎の道は暗くて怖かった!

これからどう生きていくのかはこの時点では何も考えていない自分があった。(事実)

出迎えの重要性を今でも強く感じているのは

このときに根付いたものではないかと・・・・今になっておもう。

さあ、我が家だ。
  

Posted by teruteru at 17:22Comments(0)TrackBack(0)帰島

2006年02月24日

船内その2

波はかなりしけていました。飛行機の揺れに比べれば

我慢できるが・・・・その当時のあかつきは

今とは違い、宮崎にも接岸していた気が・・・・これは記憶が・・・あまり。

だいたい鹿児島新港から沖永良部も18時間かかります。

船の中で夜をすごすとなんだか変な気分になりました。

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船の中は特に遊ぶものもないので

みんなかなり退屈していたが、姉の調子がおかげで

良いのが何よりでした。数日前まで病院の集中治療室にいた

人とは決して思えないくらい元気で^^

父や母のほうが船旅の疲れがきたようでした。。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・さあ、奄美が見えてきた!  

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2006年02月22日

船内

無事大阪港を出港したニューあかつき。

順調な帰郷の始まりでした。以前の記事で書きましたが、

その当時は携帯が普及しておらず

船にのったら最後!兄貴夫婦や親戚への連絡が

今のように自由でスピーデイーにはいきません。

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だんだん、揺れてきました。


被災者ということで、一等室を提供され、母と姉、父と俺の組で部屋を使った!(いい部屋でした)


うとうと寝ていたのですが、船の揺れのせいでしょうか!

””地震や・地震・・・””と、うなされてしまった。

まじでまたか!と、思ったのを憶えている。


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・  沖永良部はまだまだです。
  

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2006年02月21日

再出発!

コンテナの荷物はかなりの量。島出身の方が多い神戸なので
偶然にも運送屋さんもエラブ出身の方でした。

兄貴夫婦は神戸に残り、父・母・病気から急激に回復した姉を連れて
 
    沖永良部へ

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今では定期船(鹿児島ー那覇間)ニューあかつきを待っていた。

当時、神戸港は地震で崩れ接岸もできない。

私たちは大阪港まで俺のぼろい車に乗り・・・・(車の中も荷物いっぱい)

予想はしていたが、神戸から大阪までかなりの時間がかかった。

町並みは以前の面影はなく・・・””俺たちだけではない””という気持ちを

再び認識させられました。


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なぜか、大阪港に着いてから船の出港までの時間が長く感じていたことを思い出します。


そういえば、兄貴の嫁に帰る前だからといって

散髪してもらったこと、はっきり覚えてます。

それまでは、ばさばさで、無精ひげも・・・・・・・


大阪から沖永良部まではだいたい35時間くらいはかかります。


港でたたずんでいた兄貴夫婦の姿が小さくなっていく・・・・さびしかった。
  

Posted by teruteru at 09:44Comments(2)TrackBack(0)帰島

2005年12月25日

まだ神戸が懐かしい!

しかし沖永良部はすごい。

じぶんの故郷ですが・・・・なんだか数十年離れていると

違う場所にいるようです。今だから思うが、この島は’’最高’’

その当時は、神戸に戻りたい気持ちばかりでした。。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・その後、国民宿舎に就職が決定!!

さあ、これからが腕の見せ所です。  

Posted by teruteru at 22:14Comments(0)TrackBack(0)帰島

2005年12月13日

恩返しの気持ち

友人と毎晩のように飲みに出掛け・・・・続き。

    社長の喝で目がさめたオレは、めげずにバイトをがんばりました。

    新しい就職先が決まっていたのですが(国民宿舎です)、気をゆるめずに!!

       社長や親に恩返しをしたいという思いだけでがんばっていたような・・・・

     気がする。。

          

Posted by teruteru at 09:00Comments(0)TrackBack(0)帰島

2005年12月11日

貴重なことば

故郷に帰ってきてからは、とにかく友人をつくることからはじめました。

親戚のGSでバイトをしながら、島の人に顔をしってもらって・・・ラッキーだったねあの頃はチョキ

毎晩のように友人と飲みに。。「画像は アメリカでいご です」

         バイトに遅刻したことが一度あり・…社長が””飲んで遅刻するんだったら
   
         最初から飲むな””と喝ガ-ン

でも後にこの言葉が私の人生にとってかなり貴重なものとなっていきました。  

Posted by teruteru at 23:46Comments(0)TrackBack(0)帰島

2005年12月05日

帰島~神戸から

神戸から帰ってきてからの続き・・・
 
沖永良部に帰ってきたとき、15.6年ぶりの古里。神戸での生活が長くなっていたので

なぜか物足りない日々でした。

いったん神戸に両親を島において帰りました・・・・が、数ヶ月しか経っていない神戸

自分の居場所がないことに気づく。

””やはり俺の居場所は島だ”と思いました。数週間した後、また島に帰島!!

島はまた温かく迎えてくれました。そのとき 26歳!

H7年は自分にとって人生の転機の年でした。その後は友人たちに恵まれて・・・・・・・!

  ただ忘れていけないこと、神戸の友人たちのこと。

今現在でもときどきは連絡をとりますが。。みんな元気にしているかな??!  

Posted by teruteru at 10:12Comments(0)TrackBack(0)帰島